天間舘志保(てんまだて しほ)
小さい頃から絵を描くのが好きで、保育園の時は絵ばっかり描いていました。

小学校2年生位から、美大に行きたくて勉強していましたが、こちらは叶わず。
社会人になって直ぐは、家族の事や、人として大事な軸が何なのかを知る事、将来自分が子どもを育てる時の事の方が、自分には絵の探究よりもまず先決に思え、保育士を5年経験させて頂きました。
保育士退職後は、アルバイトをしながら絵の教室に通っていました。
ある時友人の結婚式のプレゼントに似顔絵を贈った事がきっかけで、似顔絵の世界へ。
仕事として何枚も何枚も描かせて頂く事で、たくさん絵の勉強をさせて頂きました。
大体の計算ですが、似顔絵師を始めてから10年で5000顔ほどお描きしました。(※内3〜4年は、産休育休でなだらかに続けていました)
お客様の反応や頂いたご感想、似顔絵仲間から受ける刺激と自己研鑽が、私にとっての学校でした。
他、絵画、壁画、イラスト、ライブペイント、グッズ販売、児童対象のお絵描き教室等の機会を頂き、活動して参りました。
立派な肩書きや大きな展覧会の授賞履歴は特にない私ですが、絵を通して関わって下さった皆様との歴史が、私にとっての勲章です。

至らない場面も多々あったと思いますが、関わって下さった皆様に、心から感謝しています。
小学校の時からずっとやってみたかった事、
40歳前の、子供もいる今になって、ようやく素の自分を認めてあげる事が出来ました。
自己肯定感ゼロで、ありのままの自分に自信がなくて
周りからの目や声が気になってしまって、これまで自分を信じる事が出来ませんでした。
何かしていないと、役に立ってないと、自分だけはここにいてはいけない様な感覚がずっとありました。
絵を描いている時だけが、そういう頭の中の声から解放されて、無心になり 心がキラキラする時間でした。
進路の時は、親世代は、絵は老後の趣味にすれば良いという考えが多い時代
なので、中学校の時、早くおばあちゃんになって、好きに絵が描きたいなぁと思っていました。
保育士から絵の世界に転じた後も、”稼がなくてはいけないから”というブロックはありましたし、
技術的にも内面的にも、その時の自分には出来ないとわかっていたのだと思います。
肩書きのない、ただの私が好きに絵を描くだけ、
時代も段々変化して、人から見たら、やればいいじゃんと軽く言われる事なのですが、
その状態をどう見られるか、どう言われるかが、物凄く怖かった。
凄く怖かったけど、才能があるかどうかがわからなくてもそれを臆さずにただやっている画家さんも世の中にはいて、憧れていました。
自分を大事にして欲しいと言ってくれる主人と、無条件に愛情を伝えてくれる子供たちが、
そのままの私の背中を押してくれて、今も応援してくれる事が
怖がりな私の心の支えになっています。
【〜表現したいもの〜】
出産後しばらくしてから、ふとした時に絵のイメージが降りてくるようになりました。
私は、これを潜在意識からのメッセージと受け取っています。
そのイメージを、目に見える形で表現したい。
言葉で表すと、
愛・光・生きる喜び、私の心象風景に当たるのだと思います。
絵を描くことは、私のアイデンティティーであり、私の使命です。
2025年春からは、見えているイメージを、神さまに感謝して、しっかりと表現していきたいです。
絵を見て、波長が良くなって頂ける方がいたら、とても幸せです。
まだ描いた枚数が少ないので、これから枚数を描いて、
自分が何をどういう風に表現したいのかを、より鮮明にしていきたいです。(2025.4.2)
